こんにちはー!微妙に忙しくて更新してませんでした、Kumaです。
さて今回は僕の過去といいますかワーホリ時代について。まぁ99%の人は興味ないと思うんですが一応自己紹介がてらと言うかどんなんだったんだろって知りたい人の為に。
同級生によるワーホリ勧誘
2011年の夏休みかなんかに高校の時の同級生だったK君にたまたま会い
Kuma『最近なにしてんの?なんの仕事してんの?』
Kくん『ワーキングホリデーで海外に住みながら旅の写真を撮ってるんだ』
Kuma『何それ?海外に住めんの?働けるの?英語話せるのすごいねー』
みたいな典型的な流れでワーホリを知り、K君に勧められ
Kくん『30歳までビザ申請できるからワーホリ来なよ。もし来るなら家泊めてあげるよ』
Kuma『マジ?ちょっと考えるわ!』
そんな感じの会話をしてから年末まで特に進展もないまま11月になり、その後Facebookを開いてたらKくんの楽しそうなキラキラした投稿が目に入り、またメッセンジャーで連絡。超楽しそうなので観光ビザで遊び行ってみようと言う事で早速航空券購入。観光ビザもオンラインで見つけたエージェントに頼み、初めて一人だけで海外へ。
メルボルン到着とワーホリ決断
そんな事で年末にオーストラリアのメルボルンという都市へ。JALとカンタスのコードシェアだったのですが機内で緊張しまくり。僕含めワーホリに多い英語力ほぼゼロの状態で行ったので機内でコーラ頼むとコーヒー出てくるし、間違っててもなんて言えばよくわかんなかったし。トイレ行きたいのに横のおっさん寝ててなんて行って起こせばいいのかわからず膀胱破裂しそうになるし散々なフライトでした。
まぁ無事メルボルン空港到着。入国審査でなんか聞かれたけど『サイトシーイング』みたいな事言ってなんとか切り抜け無事入国。地球の歩き方って本だけは買ってったのでスカイバス見つけてチケット売り場のおばさんにジェスチャーで意思疎通しチケットゲット。
スーツケース引きずりながら街をブラブラ。iPhone4sだったかな?持ってたからグーグルマップ見ながらサウスバンクまでひたすら歩く(トラム乗るのも怖買った)。クラウンカジノ前の赤いアパート発見。その後の人生を狂わす人生初カジノもここでした。とりあえずローミングしてK君に電話してレセプションまで迎えに来てもらう。ここまで英語使うこともほぼなくまぁよかったんだけど部屋入ってみたらシェアハウス。イタリア人、香港人、日本人、オーストラリア人7人だったかな?そんな感じ。英語全然わかんなかったけどまぁ身振り手振りで意思疎通。昔からバンドやってて一応海外ツアー的なやつもやった事あったので緊張こそしなかったもののやっぱ英語できないとちゃんと楽しめないなと。酒飲みまくってなんとか乗り切る。
静岡県の田舎から出てきたので夜景もすげー新鮮で、人生で初めてここ住んでみたい!って思ったのと日本人も外人も出会った全ての人がキラキラしててオーストラリアに来たらなんか変わりそうな気もしたのでそこでワーホリ決断。もう一人のシェアメイトN氏からも『オーストラリア来たら楽しいですよ』みたいな事言われまくりそれもまた決定打。
4月が30歳の誕生日で仕事もすぐ辞めないと間に合わなかったので年明けに日本に帰って退職願提出。某楽器会社の課長をやってたのでスゲー止められたけどそこはなんとか押し切り辞職。インターネットで誰かのブログみながらワーホリビザ申請。申請した15分後にはビザ降りててすぐ航空券購入。12月に観光で入国して2月にワーホリビザで再入国。やっぱケツが決まってると決断も早かった。正解なのか不正解なのかよくわかんないけど。日本からみた海外はすごくキラキラしてて憧れたんだけど今オーストラリアに来て8年目。こっちから見る日本は昔見たオーストラリアみたいにみんな楽しそう。まぁそんなもんだよなと思いながら毎日過ごしてます。また時間あるときにワーホリ中にあった出来事やトラブル、英語学習なんかについて書いてみようと思います。